弐千七年九月拾参日
幽霊は本当にいるのか20(いないのか)
768 :自夜[]:2007/09/13(木) 06:48:07 ID:q87YffSY0
もともと日本では岐の神(ちまたのかみ、別名:辻の神)ってのが信仰されていて、
これは村に悪魂が入ってくるのを防ぐ神さんで、この神さんと峠あるいは山の神さん
である猿田毘古神が同一視された上に、支那から伝わった道の神さんの影響をうけて、
道祖神の形になったのが、大体奈良時代か、それ以前のことですね
一方、庚申ってのは同じく支那の道教に由来する庚申信仰が元なんですが、道とはなんら
関係のない信仰で、三尸の虫を躰に留め置くための庚申講が主体です
庚申塔は庚申講を3年18回続けた記念に建立されていたのですが、申=猿ですから、いつの
まにやら猿田毘古神(=道祖神)と同一視され、庚申塔自体も街道沿いに多く建立され、
道標すら彫りつけられるようになりました
庚申塔が多数作られるようになったのは、庚申講が民間に広まった江戸期以降です
つづきます
幽霊は本当にいるのか20(いないのか)
769 :自夜[]:2007/09/13(木) 06:49:47 ID:q87YffSY0
つづきです
地蔵さんの方は、弥勒菩薩が出現するまで衆生を救う役目を負わされた菩薩さんですが、
日本においては平安以降の浄土信仰に伴い、信仰されるようになりました
もともと六道を輪廻する衆生を救うことが役目ですが、自ら仏となることを拒絶し、
彷徨う魂を救う菩薩と理解されたことから、地蔵像は六道に応じて六体、墓地の入り口などに
置かれるようになりました
また、この理解から、身代わり地蔵という概念が生まれ、多くの身代わり地蔵が信仰される
と共に、その役割に応じた地蔵像が造られることになります
以上、整理すると
庚申塔:記念碑->道標
地蔵像:信仰の対象
別の言い方をすると、
庚申塔:生きている人を導く
地蔵像:彷徨う魂を導く
とまぁ、簡単に言うとこんな感じですか、両者に繋がりはあまりありません
ですが、地方や時代によって色々な概念がくっついたり離れたりしてますんで、実は一概には言えないんですわ
気になるんなら、その庚申塔の由来でも調べられてはどうでしょうかね(猫族が建立した塔だったりして)
以上、どうでもいい知識でした
幽霊は本当にいるのか20(いないのか)
776 :自夜[]:2007/09/13(木) 09:14:19 ID:q87YffSY0
付喪神については、京都大学附属図書館 貴重資料画像にいい資料があります
手前味噌ながら、その貴重資料画像へのリンクを貼った妖怪さんのページを紹介します
http://nanasi.mujina.info/mujinamain/mujinamain002.html
確かに、付喪神の誕生には物を大切にすると言う教訓があったかもしれませんが、
その発展の多くは日本人が持つ遊び心ではないかと私は思っております
幽霊は本当にいるのか20(いないのか)
779 :自夜[]:2007/09/13(木) 09:26:28 ID:q87YffSY0
こういう場で、あんまりこういう書き込みをすべきじゃないかもしれませんが
>>772さん
SFの世界では知りませんが、電場又は電界(前者は主に理学系の、後者は主に工学系の用語で、同じ意味)
は電磁波を存在させる場ではなく、電荷が存在することによる電位の勾配のことです
静電気による力と考えても差し支えないかと思います
幽霊は本当にいるのか20(いないのか)
787 :自夜[]:2007/09/13(木) 09:57:51 ID:q87YffSY0
>>785さん
猫の可聴範囲は20Hz〜65KHz(但し上限は40KHz〜100KHzまで諸説あり、人間は20Hz〜20KHz)で、
その感度や方向分解能も人間と比べ物にならないくらい高いそうです
また、1/10音の違いも区別出来る(人間はせいぜい半音?)そうで、人間とは全く異なる
音の世界に生きていると言えます
従って、>>785さんが書かれていることは猫にとっては不思議でもなんでもないかもしれません
残念ながら、猫も五歳を超えるくらいから耳が遠くなるそうですが
>>786さん
そうか、もう、朝が来ていたのか・・・
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