狢の与太話


第弐回 百鬼夜行絵巻 18JUN2007


大徳寺真珠庵所蔵本 伝土佐光信筆
百鬼夜行絵巻

解説と書いて、蛇足と読む:

百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)っちゅうのは、深夜の町妖物、化け物の群れが集団で徘徊する様を言うんや
百鬼夜行が登場する説話はけっこう多く、下のようなもんがよう知られとる

・打聞集(十二世紀初頭以前)
・江談抄(十二世紀初頭)
・宇治拾遺物語(十三世紀前半頃)巻一の十七 修行者逢百鬼夜行事
・大鏡(平安時代後期)中巻・右大臣師輔
・今昔物語集(平安時代末期)巻第十四の四十二話
・古本説話集(平安時代末期)
・宝物集(平安時代末期)
注:成立年代は推定を含む。

平安時代の京なんかで、百鬼夜行がよく見られたかどうかまでは知らんが、当時でも百鬼夜行を目撃すると災いが起こるとか、死んでしまうとかいうて恐れられておって、上の説話なんかは経を唱えたから助かったとか、あるいは朝が来て助かったとか、そういう話が多い
まぁ、助からんかったんは、本人が死んどるかどうかしたんやろうから、話しに残らんかったんかもしれん
百鬼とは鬼だけやのうて、今で言う妖怪・物の怪、当時で言う妖物・化け物という意味で、むしろ今の印象で言う鬼は居らん

太古は荒魂っちゅうて、死んだ人が悪霊になって攻めてくるっちゅう考えがあった
これは特に日本に限った話やない
世界中わりとどこにでもあったということが、民俗学的に指摘されとるらしい
この時代に人間以外の精としての妖怪はおらん
その後、万物に精が宿るという考えが出てきて、ようやく妖怪の原型が出現する
体系化された宗教が出てくるのはこの後やね

体系化された宗教、特に一神教の元では妖怪は神に背く物として位置づけられ、悪魔化した
そして、体系化された宗教は死後の世界にも社会制度を持ち込み、死者と精は切り離された
ちょっと大ざっぱ過ぎる言い方やな
もちろん、個別の宗教によってその考え方とかは異なるから、一概には言えん
が、体系化された宗教に、それまでの精やら死者やらが組み入れられて、それまでになかった特別な意味を持たされたっちゅうのは間違いないやろう
日本の場合、最初かどうかは判らんけど、体系化された宗教として仏教が輸入され、深く浸透していった
ところが、これが仏教に乗っ取られたわけやのうて、日本のそういう意味では原始的な宗教が飲み込んでいったというのが正確なところやな
これが判らんと、なかなか日本の文化というのは理解できん

もちろん他の地域でも似たようなことは起こっとる
例えば、基督教が欧羅巴に広まる時、基督教が、従来の欧羅巴にあった伝承などを飲み込んでいった
サンタクロースなんてのはいい例やな
もともとの基督教に、そんなもんはおらん
やけど、あくまで飲み込まれたのはサンタクロースなんや
基督教を広めやすくするために、サンタクロースを潰すんでなく、飲み込んでいったと考えてもええ
ところが、日本の場合は仏教に出てくる神さん達を、従来の神さん達の仲間として加えることで、仏教を飲み込んでいったんや
まぁ、希有な例かな

やから、日本の仏教は仏教の一派やのうて、極言すれば、神道がやっとる仏教や
基督教かて、最初は西洋式に布教しょうとしとったけんど、それでは広まらんかった
神道が基督教をすることで、ようやく根付いたんや
そして、神道自体が全く体系化されていない、信者自体が自分が信者なのかどうかわかってへんような、ある意味いいかげんな、ある意味理想的な宗教なんやな
この神道を体系化しようとすると、ろくなことが起こらんというのは歴史が示すことやね
さて、このように仏教をその内に取り込んだお陰で、日本の精達も変化した

一番変化したんは死者達かも知れんね
いつの間にやら死者達は和魂となって、恐ろしいものや無くなった
むしろ、先祖の霊により守られるという思想が生まれてきて、これは現在でも引き継がれておる

死者達が和魂になったと同様、精達も神様になった
神様っちゅうても、荒神もおれば、和神もおる
ただ、人間達にとって迷惑な行為をする神が荒神であって、神自体に悪いものが居ったりするわけやない
やけど、人間達にとって少しでも、あるいは偶には都合のええことをする神様は、当然人間達の尊敬を集めて崇拝の対象になる
崇拝の対象にならんかった神様達は、やがて忘れられてしまう
忘れ去られたから言うて、居らんようになったわけやない
そういう神様達も、従来通りの生活を続けておる
こういうのが、偶に人間に目撃されて、妖物扱いされるようになったっちゅうわけや
鬼っちゅうのはむしろ生きている人間で、権力に従わん連中のこっちゃね
支那では鬼っちゅうのは死霊、即ち荒魂のこっちゃから、これも日本に輸入されてから意味合いが変わってしもうた例やね
やから、百鬼の中に鬼が居らんっちゅうのは当然のことや

じゃぁ、どんなんが百鬼やねんっちゅうと、これが実はさっぱり判らん
なんちゅうても、万物に精があって、そん中で、人間に忘れ去られた連中で、その後、たまたま目撃された奴や
はっきり言うて、何でもありやね
まぁ、わしは平安時代はまだ生まれとらんかったけど、わしの祖先はおったやろうね
わしに限らず、当時よく生態が判っとらんかったけど、偶に目撃されたり目撃された話しが残っとる生き物は、おったと考えてええと思う
中にはその後人間によく知られるようになって、無事に普通の神様として復活したもんもおる
なんやら、UMAとか、かつてUMAやったゴリラとかの話しに似とるやろう
わしが、妖怪っち何やって訊かれたら、人間によく知られてない生き物やっち答える理由が少しは判ったかいな

それはええ
今、話題にしとるのは、百鬼っちゅうのはどういう連中やねんっちゅうこって、これがよーわからんっちゅうのが結論や
もちろん、目撃した人がおるんやから、目撃談はある
写真とかは当時はなかったやろうけど、写生した絵があったかも知れん
ところがや、冒頭に挙げた説話集を見てわかるように、伝聞としての記録はあるものの、あった筈の生の記録や報告書の類は残念ながら現在には伝えられとらん
もちろん、どっかの民家の屋根裏からひょっこり発見される可能性は否定は出来んけんどな

ところで、割と新しい時代に生まれた神様も居る
乃木さんや、東郷さんが神様になったんは、極最近やけんど、中世の時代にも新参の神様がおった
陰陽雑記に云ふ。器物百年を経て、化かして精霊を経てより、人の心を誑かす。これを付喪神と号すと云へり。
室町時代に作られたと言われる付喪神絵巻(崇福寺蔵)の冒頭にこう書かれとるらしい
崇福寺蔵の巻物自体は見たことないし、どういうもんか知らんが、京都大学附属図書館所蔵の巻物が近世の模本やが、その内容からして崇福寺蔵の巻物がそのお手本やないかと思う
ほんまはここに挙げたいところやけど、図書館側がリンクは自由に貼ってええけど、画像をコピペしたもんをサイトに使わんといてといわはるんで、リンクだけ貼っとく

挿絵とあらすじで楽しむお伽草子 第5話
付喪神(つくもがみ)
京都大学附属図書館 貴重資料画像より

要は、長い年月を経った道具が妖怪になったもんが付喪神なんやけど、製造技術の発達で道具が大量生産されるようになり、まだ使えるにも関わらすに捨てられる道具が出てきて初めて神様になったもんやな
こういう絵巻を作ることで、道具を大切にせいよという教えを説いたものとも言えるし、最後は成仏させるあたり、仏教の偉大さを説いたもんとも言えるが、そういうことはさておいて、道具が具体的な形をもった妖怪になるっちゅうのは、世界的には珍しい事例らしい
日本独特の文化として誇ってもいいと思うんやが、この絵巻に登場する付喪神達のユーモラスさは大徳寺真珠庵所蔵本の絵巻の妖物達に通じるものがある
大徳寺真珠庵所蔵本の妖物達も見れば道具の妖物達であり、平安時代に跋扈した百鬼の姿とは異なるっちゅうより、平安時代にはまだ道具の妖物達はおらんかったんやな

やっと本題になった訳やが、現存する百鬼夜行絵巻では最古の大徳寺真珠庵所蔵本は、それ以前に発生した付喪神のキャラクターを使って百鬼夜行の物語を示した中世の創作物っちゅうことが言えるやろうね

全くでもないんやろうが、関係ないところからキャラクターを持ってきて、別の話を描く手法は古くは鳥獣人物戯画に見られるし、野良犬黒吉なんかもその系列と考えれば、これまた日本の文化として誇れるもんかもしれん

鳥獣人物戯画甲巻(高山寺蔵:東京国立博物館に寄託)
鳥獣人物戯画
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参考:野良犬黒吉について 多分まだ全面的には著作権が切れてないみたいやから、リンクや

さて、百鬼夜行絵巻やが、大徳寺真珠庵所蔵本は現存する最古のもんで、最初に描かれた百鬼夜行絵巻という保証はない
ひょっとしたら、もっと生々しいっちゅうか、本物の妖物を描いたもんがあって、それとは別に付喪神達を登場させたパロディーの系列があったと考えてみるのは楽しい
ともあれ、付喪神達を登場させた方がその後の主流となって、多くの百鬼夜行絵巻が描かれ、現存しているのは事実や

江戸時代になると、鳥山石燕という人が、画図百鬼夜行によって妖物が事典化されたり、しとる
水木しげる先生の妖怪百物語なんかはこの系列やな
これらには付喪神達だけでなく、それ以前の妖物達を復元したものや、後の世に創作された、あるいは地方の説話から来た妖怪達も入っているので、そのことを知っておかんと古くからの妖物と新参者の妖怪や妖怪と同一視された幽霊なんかを混同してしまう

さて、ほんまなら、江戸時代に多く描かれた他の百鬼夜行絵巻とか妖怪図なんかをもっと整理して紹介したかったんやが、やり出して、大変な作業量になることが判った
わしは元来がズボラやから、整理し終わるのを待っておったら、何時のことになるかわからん
ほやから、とりあえず、今回は大徳寺真珠庵所蔵本の紹介だけで止めとく

つづきを期待されても、わしが困るだけやから、あんまし期待せんといてくれ


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18JUN2007 公開


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