弐千七年四月拾九日 バージョン四

還暦屋

>還暦の持つ意味は、「本卦還り」といって十干十二支が60年で一回りし、
>生まれた年の干支に戻ることからつけられたもので
>・・・中略
>庶民の力が強くなってきた鎌倉・室町時代に庶民の行事として広まり定着
>してきたものと考えられます。この、特に室町時代はそのほかにもいろいろな
>行事が庶民の間に広まり定着した時代であり

  ( ゚д゚)  還暦とは言ってなかったけど、やってたなぁ
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教えて!goo 西暦についてです。

>中世(鎌倉時代〜室町時代)以降になると、庶民でも今の年号がなんであるか
>ごくふつうに知っています。最近の年号を暗記するための歌などもありました。

  ( ゚д゚)  歌なんてあったかなぁ、まぁ年号より干支使ってたけど
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巣鴨庚申塚

>明暦三(1657)年銘の猿田彦庚申塔。
>これは再興されたもので、文亀二(1502)年の碑の丈を縮めて造り替え、
>壊れた部分は下に埋まっている。

  ( ゚д゚)  道祖神さんやね裏街道筋にもぽつぽつ立っとったわ
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庚申信仰の考察

>【庚申(こうしん)は猿田彦(さるたびこ)神(かみ)なり云(い)う説(せつ)久しく
>伝はり候(そうろう)は 猿と申との因に外(ほか)ならざるべく候へども
>何に由り(より)てかかる説の出でたるかは推究せねばならず候
>両部にては青面金剛を以て(もって)庚申に配しまんまと御寺の境内に之を入れ申候へども
>本来は道家の神なること疑(うたがう)もなく候
>唯(ただ)六十の干支中何故此一(これひとつ)をのみ取出でて人をして拝せしめ候や

  ( ゚д゚)  へー、猿田彦さんと申のだじゃれかぁ、知らんかったねぇこれは
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前世物語 弐

>永禄七年つまり1564年である。
>十干と十二支を組み合わせたものを干支という。
>これは、60の周期となるので六十干支とも言う。
>これを年に割り振ると60年で一回りすることになる。
>この乱世、この年わりを知ってるものは限られた神社関係者だけである。

  ( ゚д゚)
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