鳥山石燕という人

氏名:TORIYAMA Sekien
本名:佐野豊房(SANO Toyofusa)
名号:舟月堂(Sengetudou)、零陵堂(Reiryoudou)
生年:正徳四年(1714)
没年:天明八年八月十三日(1788.9.22)
職業:浮世絵師
師匠:狩野玉燕周信
弟子:喜多川歌麿、恋川春町、歌川豊春
住所:江戸根津
墓所:浅草光明寺

石燕の師匠周信は狩野派の絵師で、狩野派と言えば、
室町幕府八代将軍足利義政に仕えた初代狩野正信を開祖とするが、
江戸時代の「嬉遊笑覧」随筆に
「花山院のあそばしたるめかヽうは伝はらす。光重か百鬼夜行を祖として元信などが書たるものあり。扨その奇怪の物になあるは浄土絵双六など其始にや」
とあり、正信の嫡男である狩野元信も妖怪画を描いていたらしい
画図百鬼夜行の跋文にも石燕自身が
「さればもろこしに山海経吾朝に元信の百鬼夜行あれば、予これに学てつたなくも絵筆を汚す」
と書いており、元信の妖怪画に影響を受けたと言うとる
もっとも、元信自体の妖怪画は現存してないらしい
佐脇崇之の「百怪図巻」「化物づくし」「化物絵巻」などが、元信自体の妖怪画の模写と考えられとるっちゅうこっちゃ

じゃぁ、石燕は狩野派の絵師かというと、むしろ浮世絵師であり、
その門下はいずれも浮世絵界で有名というより、世界のウタマロが弟子であったと言う方が早いかな

石燕自身は六十の歳に「鳥山彦」を世に出すまでの所業は明かでない
元々御坊主の家系で、あくせく働く必要はなかったらしい
御坊主っちゅうのは頭丸めて坊主の格好して江戸城に勤めとった武士のこっちゃね
大奥の伽の時に控えとる係やっちゅう説明しとるとこもあるけんど、
普通に城の方で参内する大名や旗本の世話をやくとかの係の方が多い
まぁ、江戸城に勤務する職員さんっちゅうこっちゃ
佐野家がどの係やったかは知らん

さて、浮世絵っちゅうたら版画などによる出版なんやが、
さすがに絵師に師事しただけあって、実は石燕も絵巻を描いとる
米国ボストン美術館にビゲロー・コレクションとして収蔵されとる百鬼夜行図巻がそれやね
石燕の肉筆画で現存するんはこれだけやっちゅう話や
日本でも公開されたことがあるらしいけんど、滅多に見れん代物や
実はわしも見たことがない

見れなければどうしても見たくなるのが人情やね
わしは人じゃないけんど

参考までに日本公開時のパンフかなんかに載っとった分をうぷしとこうと思う
残念ながら、全部やないけどな

やけんど、只で見せるのはどうもけったくそ悪い
やから、ゲーム仕立てにしてみた
見たい奴は下の絵をクリックして、ゲームに挑戦してくれ

なぁに、簡単なパズルや                 たぶんな


百鬼夜行図巻



どろどろきえる

狢 屋 敷に逝く さぁ、妖かしの世界へ逝こうか
前世物語に逝く 心が健全なもんはやめとった方がええ

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