弐千七年六月壱日


前世物語 弐
976 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/06/01(金) 09:13:47 ID:Tt1UarYt0
 妖怪志願 第拾壱話 その壱
 
 狢は兎のまま離れたところから娘の所業を見る。
 娘は雪の盛り上がりに辿り着き、雪を掘り始める。
 雪の中から、三角の薄っぺらいものが出てくる。
 「あれは人間がよく頭に載せる笠というものじゃな」
 雪の中から、蓑虫の簑の化け物みたいなものが出てくる。
 「あれは藁で作った人間の雨具じゃな」
 そして、その下には黒い塊。
 娘はその塊を仰向けにし、凍った着物の前を、悴んだ手で開ける。そして、
 腰から手刀を抜き、塊の腹に当てる。
 どのくらい雪の中にあったのか、凍った腹はなかなかさばけない。
 ようやく黒い石のようなものを取りだし、娘は両の手にとり見つめる。
 その横顔は思い詰めた顔そのものだ。
 いきなり娘は石に噛みつく。囓り取るように首を振り、石の残りが口から
 離れる。
 娘は肩を落とし、ため息をつく。その刹那、娘は石を落とし、手を口に当
 ててふさぎ込む。吐瀉の音が狢にまで聞こえる。
 
 つづく

前世物語 弐
977 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/06/01(金) 09:16:05 ID:Tt1UarYt0
 妖怪志願 第拾壱話 その弐
 
 ひとしきり、嗚咽を漏らし咳き込んだ後、娘は肩を大きく上下させながら、
 顔を起こす。再び手に持った石の残りを見つめる顔は、涙、涎、血糊で凄
 惨なものとなっている。
 そして、また石に齧り付く。
 何度も噛みついては吐瀉を繰り返す。何度も何度も。
 そして、最後には仰向けに雪の中に倒れ込む。
 「なるほど、行き倒れの旅人の肝を喰らおうとしたか。人を喰らえば、物
  の怪になれると思うたか。そげなことしても無駄じゃ」
 狢はため息をついて、棲処に引き返した。二三日して娘が戻ってきた。
 秋口の逞しさが嘘のように、日に日に娘は痩せ細っていった。その目だけ
 がぎらぎらと顔から浮き上がって見える。
 ただ、木々に守られ、寝息を立てている時だけが、安らかな顔つきに戻っ
 た。
 狢は時折娘の寝顔に語りかけた。
 「なぁ、もうええやんか。ただの獣として生きろ。それがぬしのためや」
 娘は答えない。木々だけが、狢に何か言いたげにその枝を震わせた。
 
 つづく

前世物語 弐
978 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/06/01(金) 09:18:15 ID:Tt1UarYt0
 妖怪志願 第拾壱話 その参
 
 長い長い冬が過ぎ、ようやく春の前触れが感じられる季節になった。
 娘は相変わらず、何日か留守にしては戻ってくる。近頃は、戦場跡も巡っ
 ているようだ。だが、益々頬が窪んでいく形相から、なかなか人肉は喉を
 通らないらしいと判る。
 「無理もない。喰らう以上に吐けば、そりゃ痩せる」
 やがては体力を使い果たし、何処かで朽ち果てるのかも知れない。それと
 も、娘の念願通り、山姥にでも成れる日がくるのか。いや、あんなものは、
 傍若無人のばぁさんにしか成れない。
 ある日、狢は行商人に化け、あの百姓屋に酒を求めに里に下りた。里では
 すっかり雪が解け、文字通り、人も土も虫も春を謳歌していた。
 「おめぇさん、聞きなさったかねぇ。いよいよ、大胡様が化け物退治に立
  ち上がりなさるそうだで」
 「そりゃまた、どういうことだね」
 「あっちの山にはな、昔から化け物が棲みついとるちゅう話があってな、
  ここらで起こる神隠しはその化け物の仕業だっちゅうことでな。拐われ
  た娘っ子は、化け物の嫁にされるとか、喰われるとか」
 
 第拾弐話につづく

前世物語 弐
979 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/06/01(金) 09:20:00 ID:Tt1UarYt0
 妖怪志願 第拾弐話 その壱
 
 なんじゃ、わしのことか。狢はそう思ったが、黙って先を聞いた。
 「近頃じゃ、旅人を襲って喰ったり、戦で死んだ侍の屍肉を喰い漁ったり、
  そのうち、里や町にも出てくるんやないかって話でよぉ」
 「で、大胡様の登場かいな」
 百姓は、おめぇさんも、襲われんように気を付けなよと加えた。
 なるほど、本人はまだ物の怪やのうても、人間共は既に物の怪扱いしとる
 というわけかい。
 狢は棲処に戻る途中、再び術を施して回った。これで、その大胡とやらが
 棲処に近づくこともなければ、娘が結界の外に出ることもあるまい。
 狢はそう思ったが、娘はまた何日か留守にしては戻ってくる。
 娘には狢の術が通じないのか。いや、そういうことはない。
 「また、おまえらか」
 草木は個にして全、全にして個。獣の類とは全く異なる観念で生きている。
 大方、棲処の木々に同調して、娘のために狢の術をかわし、道を造ってやっ
 ているのだろう。
 「余計なことを」
 
 つづく

前世物語 弐
980 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/06/01(金) 09:21:52 ID:Tt1UarYt0
 妖怪志願 第拾弐話 その弐
 
 いつの間にか、娘が戻って、木々に守られて眠る頃、娘の寝顔をそっと窺
 いに行くのが狢の習慣となっていた。
 手足は骨に皮が張り付くほどになり、その体には娘らしい丸みなど残って
 いなかった。顔だけは木々に抱かれ、まるで母親に抱かれ、すやすやと眠
 る赤子のように安らかだった。だが、その顔も、目が覚めれば目だけが異
 様に光る夜叉となるのを狢は知っていた。
 ごく普通の百姓に生まれていれば、この娘ももう赤子に乳をやる年頃だろ
 うに。
 娘が寝言を言う。
 「・・・狢様・・・」
 起きている間はまず喋ることがない人間の言葉。
 狢は無性に腹が立つ。物わかりの悪い娘に腹が立つ。娘を甘やかす木々に
 腹が立つ。そして、娘のために何もしない自分に腹が立つ。
 狢は苛ついて酒をあおり、部屋の中からは壁になっている木々に悪態を付
 く。そして、娘とは裏腹に眠れぬ夜を過ごす。
 木々のざわめきで目が覚める。もう陽は高い。
 
 つづく

前世物語 弐
981 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/06/01(金) 09:24:08 ID:Tt1UarYt0
 妖怪志願 第拾弐話 その参
 
 「どうした、おまえら」
 寝起きの狢の頭に断片的に木々の想いが入り込む。狼狽、恐怖、悲哀。獣
 達とは異なる思念の洪水に狢の頭は痛む。
 「あぁ、五月蝿い。いっぺんに喚くな」
 狢は棲処を飛び出し、娘の塒を当たる。すっかり冷たくなっている。
 狢は四方に首を回し、鼻をひくつかせ、耳朶を向ける。
 「こっちか」
 狢は走り出した。頼りは娘が残したかすかな匂いだけ。
 「なんじゃこりゃ」
 狢が術をかけた辺り、木々がねじくれ、行く手を塞いでいる。そして、穴。
 穴の中にも根が飛び出し、何度も掘り代えた跡がある。
 「そうか、おまえらは止めようとしたんやな。それをあの娘が」
 木々は狢を通そうとうごめくが、絡まって道が開かない。狢は娘が開けた
 穴を通った。
 尾根を越え、谷を越え狢は走った。
 途中、侍の屍があった。頸の傷は刀やない。あれは手刀。
 
 第拾参話につづく

前世物語 弐
982 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/06/01(金) 09:26:18 ID:Tt1UarYt0
 妖怪志願 第拾参話 その壱
 
 尾根を越え、河原に出るところで狢は止まった。
 「しまった。遅かったか」
 河原には夥しい侍の屍。あるものは喉を切られ、あるものは額を刺され、
 あるものは手足があらぬ方を向き、まだ悶絶している。
 二十体はあろうか、その向こうに甲冑姿の侍、刀を八相に構えている。察
 するに、こいつが大胡か。そして、大胡に対峙する四つん這いの獣。いや、
 四つん這いではない。左腕が肩から無くなっている。
 「ば、化け物め」
 大胡が呻く。娘が吼え返す。あのぎらつく目が一つしか見えない。
 大胡が一歩躙り寄る。娘の跳躍。大胡の一刀を宙で躰を捻って避ける娘。
 そして、振り返りざまの大胡の切り返しが娘の脚を捉える。
 骨の断ちきられる音。
 だが、その切り返しが大胡の命取りになる。
 娘の右腕がいっぱいに伸ばされ、大胡の眼前を払う。その手に握られた手
 刀にまとわりつく血糊と眼髄。
 刀を放り投げ、絶叫をあげ顔を押さえる大胡。宙を舞う右脚。
 
 つづく

前世物語 弐
983 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/06/01(金) 09:27:49 ID:Tt1UarYt0
 妖怪志願 第拾参話 その弐
 
 娘は地に落ちると、吹き出る己が血潮を意にも介せず、大胡に飛びかかり、
 その首筋に齧り付く。
 一際高い絶叫と共に、まるで怒った火の山のように血潮が噴き出し、やが
 てその勢いも弱まり、大胡と娘がどうと倒れ込む。
 一瞬の出来事であった。
 狢が大狢に化け駆け寄った時には娘は大胡の甲冑の紐を切り、剥ぎ取り、
 腹を裂いてその中に喰らいついていた。
 その血の池から生き肝を囓り取り、娘は大胡の横に仰向けに倒れ込む。
 狢は上から娘を覗き込む。娘の喉が咀嚼の動きを見せる。
 ふうと弱いため息をつき、娘が片眼をうっすら開ける。もう片方の眼球は、
 潰れたまま眼窩から垂れ下がっている。腹にも刀傷。
 娘の瞳が動き、狢を捉える。
 「・・・むじな・・・さま・・・」
 娘が微笑む。木々に守られ、寝ている時のように安らかに微笑む。
 「・・・わ・・・わたし・・・やっと・・・」
 娘が苦しげに躰を曲げ、横向きになる。喉が動く。
 
 つづく

前世物語 弐
984 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/06/01(金) 09:29:54 ID:Tt1UarYt0
 妖怪志願 第拾参話 その参
 
 うぐぇげっっ。
 娘は茶色い肝と黄色い液体をはき出した。もう目は閉じられている。
 娘は時折躰をひくつかせ、まだその生命が終えていないことを見せていた
 が、やがて静かになった。
 狢は半分ほどになった娘の亡骸を抱きかかえ、棲処へと戻る。
 狢が通った後、木々が狢と娘を隠すように身をよじらせて、道を塞ぐ。
 狢は棲処に戻ると、何度も生きることの悲しさを味わった姫の眠っている
 横に穴を掘り、娘を埋めた。
 「一緒に生きてやればよかったかのう」
 狢は木々に訊ねた。木々は何も答えなかった。
 「一緒に生きてやればよかったかのう」
 今度は自分に尋ねてみた。答は出なかった。
 その晩、灰色狐が酒をもって訪ねてきた
 名無しの狢は黙って飲んだ。灰色狐は黙って飲んだ。
 そして、ふと灰色狐は壁を見つめ、ぽつりと言った。
 「木が泣いてる」
 
 完

前世物語 弐
985 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/06/01(金) 09:39:52 ID:Tt1UarYt0
 一応、これで物語は終わりです
 おつきあい頂きまして、有り難うございました
 
 まぁ、別ににちゃんをやめるわけでも、オカ板から出て行く訳でもないんで、
 どこぞのスレッドでまたお会いすることもあるでしょう
 
 なんかね、日本に戻ってきてから、やたら忙しくて、なかなかにちゃんで遊ぶ
 時間が取れません
 よその板まで逝って莫迦やってるのが羨ましくもあります。なりたかねーけど
 
 というわけで、私がレスすべきものがあったかもしれませんが、その点はご容赦
 頂きたいと思います
 私に何か訊きたいこと、言いたいことあれば、今後は避難所あるいは Web Site
 の方にお願いします
 リクには時間が許す限り応えていきたいと思いますが、前々から言っているように
 創作物となれば、オカ板以外のところでやることとなると思います
 
 ほいじゃ、また、いつかどこかで



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