弐千七年五月弐拾五日


前世物語 弐
903 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/05/25(金) 07:41:04 ID:PZOQdxCr0
 妖怪志願 第七話 その壱
 
 「な・・・名のあるも・も・物の怪様と、おみ・お見受け・・いたします」
 狢はその大眼を娘に向ける。
 「どうか、私・・・を、物の怪にして下さい。お願いします」
 娘は額を地面に擦りつけて懇願する。
 「どうか・・・・・・お願い致します」
 狢は呆気にとられた。
 今までに命乞いをする人間、魂をくれてやるから願いを叶えろと言う人間、
 そして退治してくれると豪語したあげくに惨めに敗れ去った人間は居たが、
 物の怪になりたいと言う人間は初めてだ。
 「一族の・・・お・掟で・・・子細は申し上げられませんが・・・私達の
  一族は・・・他の者との交わりを・・・避けて来ました」
 娘は顔を上げようとしない。その小柄な躰の震えは止まらない。
 「その一族も・・・み・皆死に絶え・・・私・・・独りになりました。」
 そうか、あのじぃさんも死んだか。この娘は独りでじぃさんを弔ったか。
 「こ・・・この先、人として・・・生きれない以上、いっそ・・・」
 「いっそ、物の怪になりたい・・・か」
 
 つづく

前世物語 弐
904 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/05/25(金) 07:43:21 ID:PZOQdxCr0
 妖怪志願 第七話 その弐
 
 娘は顔を上げて大狢を見る。狢はにやりと嗤う。
 「物の怪になって、無念を晴らすか。人間に復讐でもする気か」
 「め・・・滅相もございません。ただ私は、人を超えた存在になりたいと」
 娘は再び額を地面に擦りつける。
 「そうなれば、一族の想いが少しでも長く残る・・・」
 「娘よ」
 狢は静かに語りかけ、娘は顔を上げる。その瞬間、大狢は更に大きく化け、
 娘の眼前にそのおぞましい形相の顔を出す。
 大狢の躰から妖気が迸り、周囲を冬に戻す。
 「ふざけるな。一族の想い?そんなものが何になる。そんなもののために
  物の怪になって何になる」
 狢の大音声に娘の躰は硬直し、小水が地面を濡らす。
 「そんな下らんもののために、わしを煩わす気か」
 狢は元の大狢に戻り、元の場所、岩の上に戻り、娘と逆の方向を向く。
 「悪いことは言わん。人に生まれた以上、人として生きよ」
 娘は三度ひれ伏す。
 
 つづく

前世物語 弐
905 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/05/25(金) 07:45:54 ID:PZOQdxCr0
 妖怪志願 第七話 その参
 
 随分と長い間、狢と娘はそのままだったが、やがて娘は立ち上がり、悲し
 げな顔で狢に一礼すると、元来た道を戻っていった。
 それで諦めたと狢は思っていたが、それからも三日を空けず、娘は狢の処
 に訊ねて来、その度に狢は大狢になって追い返した。
 そして、今日も又、娘が下草を掻き分けて、狢の背後に現れた。
 「狢様」
 背後で娘が跪く気配がする。いつしか娘は狢のことを狢様と呼ぶようになっ
 ていた。
 「狢様。いよいよ人として生きていけなくなりました」
 どういうことだろう。狢は気になったが、知らぬ振りをして振り向かなかっ
 た。
 「私達の里はもうありません。私には返るところがなくなりました」
 郷の者達から追い出されたのか、それとも郷の者達と諍いを起こしたか。
 「私達の一族の存在を許さない者達が昨夜私達の里に火を放ちました。僅
  かばかりの建物、畑、全て燃えてしまいました」
 なるほど、領主がついに嗅ぎ付けたか。
 
 第八話につづく

前世物語 弐
906 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/05/25(金) 07:48:05 ID:PZOQdxCr0
 妖怪志願 第八話 その壱
 
 さて、郷の者はどう出たか。娘がこうしてここに来ている。匿う気はない
 のだろう。集落が領主に見つかったと言うことは、郷の者が密告したのか
 もしれない。
 「身一つで逃げるのが精一杯でした。この手刀以外、何も持ち出せません
  でした。見つかれば、きっと殺されるでしょう。私が生きていることが
  判れば、郷の者にも迷惑がかかるかも知れません」
 娘に小石を投げつけるような郷の者など、気にすることもあるまいに。
 「私は人としては死ななければなりません。どうか、お願い致します」
 狢はゆっくりと振り返り、娘を見た。唯でさえ見窄らしい単衣が今や襤褸
 同然である。顔や手足、肌が出ている所は全て煤けている。
 そして、両の手でしっかりと握られた手刀。
 「物の怪に成れないのであれば、せめて下女として使って下さい。狢様の
  ところに置いて下さい」
 狢は両の眼を見開いて娘を見た。娘の目は真っ赤に腫れて、今にも泣き出
 しそうな顔をしている。狢はやがて視線を逸らしてまた逆の方を向いた。
 「断る」
 
 つづく

前世物語 弐
907 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/05/25(金) 07:49:55 ID:PZOQdxCr0
 妖怪志願 第八話 その弐
 
 背後で娘の泣き出す気配がする。声を押し殺して泣いている。
 物の怪である狢とて、情はある。いや、娘の境遇には充分同情していた。
 むしろ娘を助け、あの物の怪に喰われたかった姫さんの時のように、馬鹿
 共相手に一暴れしたい気すらする。
 だが、それは一時の享楽にしかならない。
 「わしは物の怪や。あらゆる生き物に災いをふりかける悪しき存在や。生
  き物とは、まして人間とは暮らせん」
 そして、拒絶の沈黙。
 絶望して自害するかな。ふとそう思ったが、その気配はない。狢はほっと
 した。
 自害したらしたで、それまでのことだ。狢は無理にそう思う。
 「では、せめてものお願いです。狢様は、元は物の怪ではなかったと聞き
  ます。狢様がどうやって物の怪になったのか、教えて頂けないでしょう
  か」
 「そがいな昔のことは忘れた」
 狢は興味なさげに答える。
 
 つづく

前世物語 弐
908 :自夜 ZB070193.ppp.dion.ne.jp[]:2007/05/25(金) 07:52:16 ID:PZOQdxCr0
 妖怪志願 第八話 その参
 
 「気が付いたら、人を襲い、人を喰らう物の怪であった。それだけや」
 「人を喰らう物の怪・・・」
 狢はまた娘の方に振り返り、にやりと嗤う。
 「そうや、怖いか」
 「はい。たいそう恐ろしゅうございます」
 言に反して、娘は怖がる素振りを見せていない。涙も止まっている。ただ、
 微かに震える膝頭が娘の本能的な畏怖を顕している。
 「わかったなら去ね」
 「はい。有り難うございました」
 娘は丁寧にお辞儀をし、踵を返して去った。
 娘が充分離れたのを確かめて、狢は大狢から狢に戻った。
 「せっかくのええ気分が台無しや」
 狢は大きく延びをして、岩から降り、森の中へと入っていった。
 物の怪になってなんになる。物の怪なんぞ、徒花や。生き物の掟から、な
 にかの拍子で外れた化け物や。長生きできてもそうええもんやない。たと
 え不幸な一生でも、物の怪なんぞにならんほうがええ。狢はそう考える。
 
 第九話につづく



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